旧い記事でごめんなさい。
デジタルカメラの二項定理
2年前は、35万画素が主流の普及版デジタルカメラも、今春(1999年)200万画素機が出現し、一気に銀塩カメラ並の画質をもつにいたった。
PC画面でみても、また手持ちのプリンタで印刷しても、キャビネサイズくらいなら十分活用できる範囲にある。売上げではすでにデジカメが銀塩を上回っていて、いずれAPSカメラは駆逐されるだろうとか、高級一眼レフカメラと市場を二分するだろうとか、デジタル界隈は鼻息が荒い。
コンパクトでバシバシ撮れて高画質だとうたわれるデジカメだが、その性格はむしろポジフィルムの表現に近く、喧伝されるほど扱いはたやすくない。
解像度(K)と色彩(S)。細部の描写力と色の再現性を追及しつつ、いかに調和を保つか、基本的な命題ともいえる。Kが高ければ、満足な画質が得られるかというとそうでもなく、発色が悪ければ元も子もない。Sが美しければ、鑑賞にたえられるかというとそれだけでは満足できない。
デジカメはフィルムと現像のプロセスをもたない分、一台三役をこなさねばならず、なおさらKとSのバランスが問われる。
おもしろいことに、カメラメーカーはKに力を注ぎ、フィルムメーカーはSに重きを置いている。総じて、プリンタはKよりもSを重視しているから、現時点では解像力の高いデジカメの方が、印刷したときに発色がいいといわれている。
注1
(K+S)nを解く。「ヘルペスの信号」同様、興味をそそられる。
注2
画素;画像データを構成する一番小さな情報単位。光を電気に置き換える電子部品、CCDのこと。画素数が増えれば、よりきめこまかい画像が描写できるはずだが、肝腎のCCDサイズの拡大化が遅れているために、画素サイズは逆に小さくなってしまった。結果として光の受容量が減り、明暗の差が狭くなりつつある。
注3
流行の絵画においては、拡張形式と朦朧形式に二分されると平井亮一氏は説いているが、この二分法はカメラの世界にも、通用するように思われる。もっとも前者では構造を問われることはないにせよ。
注4
マイデジカメは、OLYMPUS C‐2500L。気むずかしいじゃじゃ馬だが、怪我の功名、一眼レフカメラの腕が上がるかもしれない。
注5
ニコン、オリンパス、ソニーの製品は描写力が高い。フジ、コダックの製品は色が美しい。ここでは画質にテーマを絞ったが、デジカメは動画撮影も可能な機種も多く、銀塩カメラにはない付加価値もある。
注6
犬の毛;Kが高ければ、毛の一本一本は見分けられる。データをDPEサービスに出すと、毛は色のかたまりとして仕上がる。写真としてはこちらの方がきれいだと感じる人のほうが多いだろう。
注7
参考資料;日経ベストPC 1995‐5、特選街 1996‐6、COMPUTER SHOPPER 1999‐10、デジタルCAPA 1999‐10、11、デジタルカメラEXPRESS‐2、デジタルカメラマガジン‐13、カメラマン12月臨時増刊、
注∞
よむ(みる)前にわかってしまう本(作品)が多くなったと感じられる一方、よめば頭が幾分活性化される文章でも、よむことによってしごとが滞ってしまうのなら、よまない方がいい。
あまりに戦略的に書かれた文章では、ある種のレトリックにおいて、ひとやひとの仕事は、アルファベットの記号のように扱われ捨てられる。モニタ上の削除ボタンをクリックすれば、瞬時に消えるファイルのごとく。
声高な論調や、差異化(または引用)の増殖。かつて誰がいったか、フォーマリストは日和見主義者の代名詞と。琵琶法師ではあるまい。(1999年12月)