2017-03-01から1ヶ月間の記事一覧
七百七十二日目。灰色に救われし日々のあり。三月尽。 こむらさきいろの奥行だんだんに赤から青へ ふかみとはふくみ
七百七十一日目。見えるところよりも、見えないところに時間をかける。 すき間とかきわに目が行くひとのあらん いちまいの絵の前に立つとき
七百七十日目。ほっと一息。お湯わり飲みながら。 Barnett Newman氏あたり掲げつついまだに美とか崇高だとか
七百六十九日目。閑話休題。 正面は筆のいきおい 側面を滲むえのぐのこころのうごき
七百六十七日目。睡眠力を鍛えねば。 横になるすなわちねむるうら若き夏のかなたの添い寝の時間
七百六十六日目。昭和の時代。 我が家から蜜柑山まで一キロほどあれどその間人家はひとつ
七百六十五日目。影ある男のゆくえ気になる。 いつもいつもバス通りから下りくる男を巡る視線のゆくえ
七百六十五日目。目を閉ざすと、はだかになったような気がする。 眩しきに瞼とざせばにわかにも暗きはだかの絵となる自分
七百六十四日目。春の縁側。 はじまりよりつねに大地は震えおり 奢りの春の花のゆたけさ
七百六十四日目。一度しぼんだゴム風船はなかなか膨らまない、割れもしないが。 すき間へと注ぐ眼差し 絵の前に佇むわれもひとつの装置
七百六十一日目。 夏は不連続に、一挙にやって来る。・・・、画家、中西夏之氏のことばから。(「夏のために」1975) ことさらに絵を眩しくさせるための装置、あるいは不意のま夏のひざし
七百六十一日目。感性の主観的な条件としての空間。Raum。 物質におもねんとする空間の希薄なるさま あるじなきその
七百六十一日目。のぞむべくもないけれど。鉤括弧。 mediumからpigmentへと意のままにわれを誘う絵ふでが欲しい
七百五十九日目。たまには空を見上げたい。 AIを容れる器の拙さを思いみるとき脳は悲しむ
七百五十八日目。絵の具の乾きがいまいち遅い。早すぎても困るのだが。 校庭にあそぶ友らの声を避けてバックネットのかげに微睡む
七百五十七日目。厳冬期の難工事、やれやれ[E:#x1F625]。 仰向けにみるとき空ははるけくあり 神よ友よと祈らぬでもない
七百五十六日目。三月半ば、もうすぐ四月。 友ありてその友のありて百千の土鳩つぶやくなかを群れ行く
七百五十五日目。花が終わるとわかばが萌えだす、家の中でも。 はな終えて啓翁ざくらさみどりのわかば萌え立つ花瓶のみずに
七百五十四日目。絵のいろを忠実に再現することはむずかしい。 ふきわたる風の音いろを慈しむごときまなざし水際べに見す
七百五十三日目。春、すこしのんびりしよう。 絵より先にことばがあるのかもしれないが交わす時候の挨拶がつづく
七百五十二日目。ついついのぞいてしまう水溜まり。今はあまり、見ないけれど。 にわたずみ 仰向けに見る感じありて大空高くまわすパラソル
七百五十一日目。一歩手前、だいじなことば。 えがくべきは個性にあらねばやんわりと一歩手前にとどまるこころ
七百五十日目。柚子の香りは食欲をそそる。 空間ははためく旗のようなればすこし遅れてかぜに逆らう
七百四十九日目。夜になると、なおのこといきおうはずだったのだが。 ものかげに人のかげあるこれの世の刹那に肌理の交わりを編む
七百四十八日目。こちらは山茶花。 夜の道のフェンス越しにみる沈丁の陰をならんで木瓜の花あり
七百四十七日目。 コーギーは通常生後間もなく断尾するが、動物愛護の立場から尾をのこすようになった。 対角線上のアリスは尾っぽふりふりラクに擦り寄るどちらもコーギー
七百四十六日目。パソコンの修復作業ほぼ終わる。 顔のない夜の自画像 鬱鬱とかがみの中のわれを見ている
七百四十五日目。紅白帽は目立ちます。 帽の子ら紅と白とに分かれいしが(元の隊形に戻れとだれか)
七百四十四日目。夜の自画像。 絵筆手にわれを消しつつ夜のふけを鏡の中のわれがみている
七百四十三日目。久々の雨。降るごとに暖かくなるような。 絵の具から絵になるまでの距離感を問いつつはこぶ絵筆のおもさ