北村周一のブログ《フェンスぎりぎり》

フラッグ《フェンスぎりぎり》展へようこそ。現代美術紹介のコーナーです。とりわけ絵画における抽象力のリアルについて思考を巡らしたい。またはコーギーはお好き?

2017-11-01から1ヶ月間の記事一覧

秋の日のものがたりとして反射炉あり鉄を兵器に変えたるは昔

千十六日目。 伊豆韮山反射炉のこと。風光明媚。

あらためて眠くなるまで二度三度夢を書きつぐ夜の習慣

千十五日目。 昼の正夢、夜の逆夢。アンテナを立てよ。雨雲にいたらんまでに。

反射炉を背にして語る老いびとの眼差すところ茶畑のどか

千十四日目。 茶畑は冬のあいだも瑞々しい。

多様とは同じいたみを分かち合うことなりひとり露天湯に浸る

千十三日目。 みみときわ 右。

旅の宿のカラオケ演歌が切れ切れに夜を洩れくるわが枕辺に

千十二日目。 みみときわ 左 2017 白でしかできない仕事。

指が触れるまえの音へとピアニッシモさざんかの花の散り際に似て

千十一日目。 動きを止めた時、その人の真価が問われる、所作または踊りなども。

音になる前のしずけき音色までみちびかれゆく余韻のふかみ

千十日目。 余韻は音に限らないのだが。

黄葉掃く音のなかなる月曜の校庭たかくイチョウ樹炎ゆる

千九日目。 月曜の朝の校庭は、いつもより賑やかだ。

雲泥の交わりともいうらしいから続けていればいいことあるよ

千八日目。 天にある雲と地にある泥。無駄かもしれないけれど、捏ねつづけるしかない。江戸萩いまだ健在。

甘酒でも飲んで静かにおねむりよチルチルとミチル双子のように

千七日目。 クリスマスソングなど聴きながら。年子の二人。

眠剤とうあやしげなるもの飲み下しうつらうつらと夜をねむらす

千六日目。 千日を超えて万両。まだ赤くならない。

アルミ箔にきらめきにつつ眠剤あり 夜をまたたく懐中電灯

千五日目。 寒くなると、よけいにからだの節々が痛くなります。

寝たいのか起きていたいのか三時間置きにのみつぐ眠剤と水

千四日目。 寒くなるとつらいですよね、クスリ飲むのも。

初演のみに終わるのだろうかくきくきとさいしょの動機が息吹き返す

千三日目。 サザンカが咲き始めて十日余り、関東平野はますます寒し。

わが皮膚(はだ)の内にこもりし赤き血の流れをふとも憐れみにつつ

千二日目。 じっと手を見るほかはなし。

ひた走るきみの背後に流れゆく風はみているはためく旗を

千一日目。 前を向いて歩きだそう。

壁に掛かる十一月の軽さかなうるるとさららのかぜにへらへら

千日目。 山茶花まさかり。ということは、もうすぐ冬。

血や水の流れとは相馴染まざる砂の流れにこころ通わす

九百九十九日目。 能登半島に、九十九(つくも)湾という溺れ谷あり。

こちら側へ降りて来よ来よおとうとよ長谷別邸にわれら集いたり

九百九十八日目。 鎌倉、長谷寺近くの古民家、長谷別邸。

海風に旗がはためきトビが舞いきょうのよき日を秋空たかし

九百九十七日目。 前向きに進んでいるときは、旗はうしろ向きにはためく。

切り株のごとし全身灰いろのネコが気配を消しつつ道に

九百九十六日目。 擬態ともいう。

ほそぼそとうしろっ首というところ枕の上にねむたかりけり

九百九十五日目。 明朝の冷え込みは厳しそう。北風。

のびやかなるめぞそぷらののおんいきにちりばめられしにほんごをきく

九百九十四日目。 のびやかなるメゾソプラノの音域に散りばめられし日本語を聞く 歌い手は、波多野睦美さん。

はつだいはなつのひのごごおおどかににほんごをうたうこえのゆたけさ

九百九十三日目。 初台は夏の日の午後おおどかに日本語を歌う声のゆたけさ

砂山の汗の男にしのび寄るおんなの膚とタケミツ・トーン

九百九十二日目。 いわずとしれた砂の女。原作脚本安部公房、監督勅使河原宏、音楽武満徹。1964年公開。

霜月の九日 場所は紐育、半世紀前の初演はいかに

九百九十一日目。 きょうの初演は、「夢蝶 for Julia」。高橋悠治作曲。ピアノ、ジュリア・スー。

厳かに十一月の階段を聴くわがありてラジオの前に

九百九十日目。 いまから50年前の、1967年11月9日、ニューヨークにて、November Stepsは初演の運びとなった。指揮は小澤征爾。

有名になる前のきみに逢いたくて階段駆け上がる十一月

九百八十九日目。 小春日和。都内は警備がものものしい。ラクのお気に入りのアヒル。

失ってはじめてわかる正しさの行方はけだしテレビは言わず

九百八十八日目。 テレビだけではないけれど。

ことばがき添えて送りし写し絵は届くともなくヒガンバナ咲く

九百八十七日目。 目に見えるように描く作業が絵画のしごと。