北村周一のブログ《フェンスぎりぎり》

フラッグ《フェンスぎりぎり》展へようこそ。現代美術紹介のコーナーです。とりわけ絵画における抽象力のリアルについて思考を巡らしたい。またはコーギーはお好き?

2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧

逃げ遅れし仔虫一匹壁ぎわにながき手脚を映しはじめり

千三百二十日目。 追い詰められて 筆とる私 プロトコル

介護カラ裁判ヲ経タル歳月ヲ越エテ匂エル木犀ノ花

千三百十九日目。 曇り硝子は なにゆえに 灰色に 見えるのだろうか

根も葉もないうわさのようにしくしくとうつせみわれの胃の腑のあたりを

千三百十八日目。 うーんうなるほかなし フェンスぎりぎり

屈託なき笑顔の日々は発見の連続にして一日一首

千三百十七日目。 屈託とは、くよくよ思い悩むこと。一日一首、つづくだろうか。 瀝青 アスファルトのこと

夕焼けになるまえのぼくに逢うために降る階段百十一段

千三百十六日目。 黄花 2011 雨が続く 灰色三昧

虫になるまえの自分に会いたくて階段くだりゆく十一月

千三百十五日目。 生きた心地 桃花 道連れ 月明り

ねむることで癒されるべきいきものとしての能力野性ともいう

千三百十四日目。 季節外れ 桜花 2011 白三昧

空間にえのぐ自体が絡み合うときあることも絵を描く動機

千三百十三日目。 生々しい、 艶かしい 生めかしいとも書く ういういしいこと

空間をえのぐみずから意識する瞬間があると絵筆はいいぬ

千三百十二日目。 モルト モルタルのことか 灰いろ意識

秋の日の雨のち曇り曇りのち晴れのち雨のけふたれも来ず

千三百十一日目。 天気予報 千々に乱れて 雲の波

火の星の大接近のひと夏もいよよ終わりを告げてすずしき

千三百十日目。 まだまだ明るい 朱い火の星 お帰りなさいという声も

フェンス際の風に揺らめくネコジャラシ かかるさみどり絵筆は知らず

千三百九日目。 もう一回試してみる価値はあるかもしれない

よろけつつドアーを開けばゆめの果て 遠いねむりと枯野行くとき

千三百八日目。 身に入むや林の奥に日当たりて 眸

ドアノブに触れれば寒きゆめのふち 手さぐりにひとり歩める夜は

千三百七日目。 できることから順番に。

ゆめさめてゆかに足置く冷たさよ わが身あずけるあなうらにして

千三百六日目。 木洩れ日を見上げる余裕さえ 九月。

空間はえのぐ自身に語らせて絵筆を降ろす瞬間がある

千三百五日目。 とはいえ絵の表情に振り回されてはいけない。

心がけ次第でうまくなる筈のお絵描きしばし星座はめぐる

千三百四日目。 きらめき揺れつつ 星座はめぐる

雲を背になないろ浮かぶ朝にして指さすかたに灰いろの虹

千三百三日目。 九月十日の朝方のこと、西の空に。

同じ日の同じ火曜日 プロジェクトX見終わり・・・二機目突っ込む

千三百二日目。 灰いろから学ぶこと。

蟷螂の前脚むしり砂山にはなせばにじり寄る雌のいっぴき

千三百一日目。 蟷螂 かまきり とうろう 秋の季語

胸に差す測量野帳ひもとけばSKETCH BOOKという不穏の書

千三百日目。 測量士必携のメモ帳、コクヨ製測量野帳。別名SKETCH BOOK。

ひらめきは測量野帳手にひらかせてメモを取らしむ写生写生なり

千二百九十九日目。 第一に線の配合その次も又その次も写生写生なり 子規

アルバムのバナナ絵にわが魅せられて耳に聞きいるバナナ味かな

千二百九十八日目。 the velvet underground and nico、のアルバム・ジャケット。

アーカイブとても元気な三田へ来て今降る雨に傘差すわたし

千二百九十七日目。 アーカイブ流行りの昨今、今を見る元気が薄れている。

近すぎてもダメ遠すぎてもダメなとき奥行きというメガネを外す

千二百九十六日目。 言うは容易いけれども。 四つのユーモレスクより

えがきかけの夏の終わりのこの絵にもサウンドよ軽く色を点けてくれ

千二百九十五日目。 色を付ける、ではなく。

酔わぬように酒飲むきみの楽しみは損なわぬよう酔い待つこころ

千二百九十四日目。 野分だつテレヴィの前の子沢山

ひとまえで酔うを躊躇う友といて酒飲むときのわれは苦しむ

千二百九十三日目。 その逆もあるのだろうけれど。

ゆうぐれの雨のネオンの裏通り 情事の前の顔なきおんな

千二百九十二日目。 アーカイブ 今降る雨を しのぐ傘 空耳

犬とゆく秋の日光二泊ほど ラクは月よりパンを喜ぶ

千二百九十一日目。 連句擬き、はたまた擬密句(ぎみっく)三十六歌仙秋の篇。四月バカ★36、水牛のように9月号はこちらまで➡http://suigyu.com/2018/09#post-5792 捨て犬にあらず