北村周一のブログ《フェンスぎりぎり》

フラッグ《フェンスぎりぎり》展へようこそ。現代美術紹介のコーナーです。とりわけ絵画における抽象力のリアルについて思考を巡らしたい。またはコーギーはお好き?

2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧

よみてじぶんききてじぶんの朝の顔みるともなしに洗面はじむ

千二百九十日目。 使われて音出すきょうは調律の日。 うしろ前、一歩手前の、つぎにくるもの。

やっぱりね不人気らしいマイ・ナンバ失くしそうだなカード化しても

千二百八十九日目。 暑さ揺り戻し。番号に護られ生きる残暑かな。

ナンバーは影に隠して公道を流す・いきがるシャコターンZ

千二百八十八日目。 しゃこたん・車高短すなわちクルマの車高を極端に低くすること。人気の日産フェアレディZ。

蜜絡めふたたびみたび甘党のわれらいただくモチの安倍かわ

千二百八十七日目。 名物安倍川餅の巻その2。

つらいことあったのだろうか保健室のベッドに軋むスチールの音

千二百八十六日目。 機能的な清潔感はときとしてひややかにみえるのだろう。白に溺れて。

校庭の大空たかく放られて 上履きひとつ逃げ去るごとし

千二百八十五日目。 放物線の復活。遮られない視線の行方。ふであと。

切れたのかやまいなのかもイス抱え喚き散らしている悶絶児童

千二百八十四日目。 危険すぎる暑さ、外出は控えよとの命を無視して炎天下を行く。

ぼうぼうとかぜ吹く最中校舎わきの目立つところだけ草毟るひと

千二百八十三日目。 野分あと。強風に煽られながら。

揺るぎなき垂直線とは絵の中の架空の思惟か ゆれつつあらん

千二百八十二日目。 その先を遮断している一連の絵画には、当然のことながら、可能性を見出すことはできない。

団塊の世代特有の現象としての冗舌 パワハラともいう

千二百八十一日目。 揺るぎなき垂直線とは、架空の思惟か。揺れつつあらん。

ネコじゃらし振り振りはしゃぐ甥っ子を肩に載せいて若きその叔父

千二百八十日目。 夏休みもそろそろ終わりになる頃合い。さみしくもあり。

無人島あわしまに見るロープなきロープウェイとその駅の址

千二百七十九日目。 こちらは別の無人島。

不二の嶺みせて遣りたし露天湯のそらにたなびく暁の夏雲

千二百七十八日目。 見慣れた人には、感慨薄いかもしれないけれど。

血塗れの暗黒舞台に閉じ込めて神はどこまでも人間臭き

千二百七十七日目。 ひだり鉤括弧、2015年。

絵をいちまい描き終えてみればかたわらに虹架けている灰いろの水

千二百七十六日目。 筆洗用の水。灰いろの虹を沈めて。

真みどりのプールの水の青みどろ雨に濡れつつ泡立つあぶく

千二百七十五日目。 学校プールの水は防災用に溜めて置くのですが・・・。

駅を急くガラガラとその持ち主のきみを避(よ)けながら人は歩めり

千二百七十四日目。 基本的にガラガラは、前輪駆動であるが。

P症は和らぎにつつロマンスカー・・・ともに選べぬ隣席の人

千二百七十三日目。 P症とは、パニック症のこと。非常口・右

妻は二階我三階に聞き惚れいる野の鳥は今朝も異国語で鳴く

千二百七十二日目。 異国語、どうも中国語らしい、北京語か。

ロマンスカーの隣席にして見も知らぬ彼が織りなすギョーカイ用語

千二百七十一日目。 予約席は相手を選べない。自由席とは絶妙のことばではある。

さまざまなる色の出会いに日は落ちて池の水のみ光たたえおり

千二百七十日目。 縦に降るま白き太き絵具の帯よ。今後の課題

人ひとり小部屋に閉じて罪深き者のこころを読む老神父

千二百六十九日目。 告解ともいうが。純白の心。今後の課題

神話なきこの世のはてのなかんずく等身大のあなた愛おし

千二百六十八日目。 見開き左201501。雪降り止まず。

十字架の道行きにみる崇高の理念はたまた垂直のリアル

千二百六十七日目。 台風がまたやって来る。福浦漁港にある、奇妙な鉄塔。バイパスの換気口らしい。

大地踏む神の子イエス 人の子としての受難の道行きの果て

千二百六十六日目。大地篇-4。 Barnett Newman晩年の作品の中に、十字架の道行き: The Stations of The Crossという絵のシリーズがある。

この靴を見よとぞばかりに描かるる大地の上のこの靴を見よ

千二百六十五日目。 クツが鳴る。とおく真鶴の海。ゴッホの絵を思いつつ。

大地との交感にして存在の絵にも描けない神話の行方

千二百六十四日目。 欧米のそれとは異なる美学があるともいえる。

朝日ジャーナル★36

*懲りずに、連句にふたたび挑戦。といっても、相変わらずの連句擬き。いわば擬密句(ぎみっく)三十六歌仙夏篇。 朝日ジャーナル・きらら・36はこちらまで ➡ http://suigyu.com/2018/08#post-5720 水牛のように8月号

大地への信仰篤き人々のえがく垂直絵画ゆるがず

千二百六十三日目。 すき間は縦の方向ばかりではないのだが。

冷房なき画室に籠る夏の午後や 飲みたくなくとも飲んでおく水

千二百六十二日目。 夏のしごとが、冬に活きる、こともある。