北村周一のブログ《フェンスぎりぎり》

フラッグ《フェンスぎりぎり》展へようこそ。現代美術紹介のコーナーです。とりわけ絵画における抽象力のリアルについて思考を巡らしたい。またはコーギーはお好き?

2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧

山を殺ぎ森を犯してならびたつ家家どれも仄仄暗し

千四百七十一日目。 二月が終わる 雨降り止まず 本腰入れねば

春がすみ町田えきうら川向うことばもとめて人恋うるなり

千四百七十日目。 世を恋うて 人を恐るる 余寒かな 村上鬼城

ばばさまに好きなお方の居たことも 小倉トースト名古屋の生まれ

千四百六十九日目。 春めきて ものの果てなる 空の色 飯田蛇笏 武蔵野市立吉祥寺美術館

生命線ほつれやすくてこの墓に刻まれしひとの歿年をよむ

千四百六十八日目。 数字が育む ふしぎな時間 2017年

豆撒きの声に押されしオニあわれ箒片手に庭掃きいたり

千四百六十七日目。 卓上噴水 膚色金魚 春霞

ぬぎおえてポーズ取るとき佇ち位置の僅かなずれに裸身春めく

千四百六十六日目。 白秋2018 隙間と側面

騒音にもめげずさわがず汚染にも耐えて生き抜く体力の欲し

千四百六十五日目。 衰ひや歯に喰ひあてし海苔の砂 芭蕉

この街のみだれ具合を嘆くよりも体力つけに温泉に行く

千四百六十四日目。 SSS スリー・エス 2018/盛夏

たれかしらん唸る者ありいちの湯は湯煙りのなか小節きかせて

千四百六十三日目。 ある夏の日の思い出に

せせらぎは闇の奥より下り来ていちの湯にの湯夜をねむらず

千四百六十二日目。 雨水 満月の雨の夜に

運命線写し取るごときみの手にてのひら置けば走る電流

千四百六十一日目。 痺れるような 理科の実験室で

恋猫やシーツ乱れて日は歪み 熟れたみかんがみかん腐らす

千四百六十日目。 晩秋の三国峠 芒野原 じきに枯野

縁あってここ数年来のお気に入り小倉トースト昼の定番

千四百五十九日目。 名古屋が発祥の地らしい

インスタント・ラーメンばかり食べていたら駄目といわれて六十年経つ

千四百五十八日目。 多少の影響は あっただろうけれど 空腹を満たすためのみにあらずや

驚かせてゴメンと鬼が言ったので庭の隅へと逃して遣りぬ

千四百五十七日目。 西伊豆 夏の淡島

取扱注意の札を張られても行くんだろうなたぶん百まで

千四百五十六日目。 夏の西伊豆 海水の透明度が高い 季節外れだけれど

液晶に息吹きかけて拭うとき不意に膨らむお日さまアプリ

千四百五十五日目。 一番よく使うアプリだからかな 暖かくなれ

みずからに偏りがちなる夢ばかり見るに惚けて茹で小豆喰(とう)べり

千四百五十四日目。 疲れた脳に糖分チャージ

不純異性交遊見ての帰り道ネコ鳴く声はところえらばず

千四百五十三日目。 恋猫や蕎麦屋に酒と木遣節 春樹

またひとり見知りたる者あゆみきて画家と画廊の街を暮れゆく

千四百五十二日目。 白秋・右 2018 遮られない空間 わずかなことなのだけれど

春には青夏は朱のいろ秋の日はまぶしき白きひかりを思え

千四百五十一日目。 白秋・左 2018 あした雪降るらしい

要諦はカゼ引くなオレ 打楽器のように詩を吐く熱き詩人の

千四百五十日目。 White Wood 2018 反転 投射 ずらし 滞留

相好をくずすつかの間よく晴れて「ユーモレスク」は個展のお知らせ

千四百四十九日目。 歪形・右 雨の水曜日 呼吸にはいい

豆まきの豆ふむ音もにぎやかに子らの背後にオニ来ておりぬ

千四百四十八日目。 いびつなり・左 きのう立春 暖かな一日

節分会奥歯噛み締めわが祖母が歳のぶんだけ豆食みており

千四百四十七日目。 歪形 いびつなり 2018

りんかくを開放せよとわれは言う 蛍光に照る実線はやさし

千四百四十六日目。 パノラマー4/15

丹沢にもうっすらと雪はや二月 アジア・カップは遠のきにけり

千四百四十五日目。 パノラマー3/15 カタールの勝利 差が歴然としていた

表面の凹凸に目をまじまじと這わせゆくのも絵を見る醍醐味

千四百四十四日目。 パノラマ 2/15 このしごとをもう少しつづけたほうがよいのだろうが