北村周一のブログ《フェンスぎりぎり》

フラッグ《フェンスぎりぎり》展へようこそ。現代美術紹介のコーナーです。とりわけ絵画における抽象力のリアルについて思考を巡らしたい。またはコーギーはお好き?

2018-01-01から1年間の記事一覧

元朝や一升酒のかるがると父、母、祖母らの勢い止まず

千四百十二日目。 揉め事は お酒から。 去年今年貫く棒の如きもの 虚子 沈丁花

てのひら忌 手相の神の悪戯に釘刺すごとも触れいたるなり

千四百十一日目。 夜道 昨日の夜道はほとほと寒かった

水動く海べの町の冬木立 「池」という名の原酒注げば

千四百十日目。 冬木立出会い頭に海の色

眠りにつくまでのひととき天に手脚向けて所謂蚊の死ぬポーズ

千四百九日目。 睡眠週間 睡眠選手権などなど

観察のことば眼となり手となるを滴々不図も滴るえのぐ

千四百八日目。 融通無碍または柳腰、柳にかぜかも

水の面にしずむ小雪の冷たさよ プールサイドに蜷局巻く浮き

千四百七日目。 雪降るだろうか あまり寒くならないでほしいな

AIに絵をつくらせて堂々と飾る醍醐味人知るな夢

千四百六日目。 また寒くなるのでしょうか

かんがえるそれよりはやく漕ぎ出しふかき眠りに糸垂らすらん

千四百五日目。 不眠症に苦しむ人は多いだろうな fence fence fence 2006

九月淡き夢と繋がる父といて急を知らせるデジタルの音

千四百四日目。 側面から正面を捉えることは可能か

十一月そろいもそろい病室に血族温き日の没りを待つ

千四百三日目。 経験一般の可能性の制約は同時に経験の対象の可能性の制約である

十月をいよよ見頃のサクラ花いっそ月まで犬連れの道を

千四百二日目。 白に始まり白に終わる 非常口

八月や能登に口能登あることもホウシツクツク奥能登へ来よ

千四百一日目。 口能登やリヤカーで売る鱸の子 林晴美

七月やキリコ大祭の夜にして消えたるぼくが見つかるまでを

千四百日目。 若気の至りでは済まされないことも

六月忌喪服の裾に足取られ滑り落ちゆく階段は闇

千三百九十九日目。 または、逃げる韻を踏む日々

五月闇死んだ振りして眠りおれば子らは戦きイヌ駆け回る

千三百九十八日目。 穏やかな一日となるだろうか 今週はいい天気が続く

四月 手にはじめての子を抱かんにパーを出だせばグー出すわが子

千三百九十七日目。 寒さは今日がピークかも 十二月とは思えぬ寒さ または、逃げる韻を踏む日々a-1

滲みつつ昏れゆく画布の廃油痕作者不在のもの派の証し

千三百九十六日目。 ものは捉えがたい 寒い日が続く

三月は遠い眼差し はじめての個展にがくも眩しくもあり

千三百九十五日目。 または、逃げる韻を踏む日々 a-2 2018 風がとても冷たい

怨み言酒の肴にのむひとを背にして母は菜っ葉刻みぬ

千三百九十四日目。 頼りなげに線が飛び交う日々ありて繋げるだけでは絵にはならない

二月尽霙交じりの雨降る日、荼毘に付したり名はラクという

千三百九十三日目。 ホワイト・ウッド 2018

一月の白いマスクの声のなか血の色赤き尿の報告

千三百九十二日目。 寒い寒い一日 雨まで降って

十二月骨より白き肌透けて絵とは大いなる省略であろう

千三百九十一日目。 白秋・2018

晩秋の悔いの多き日就中ゆめのなかではうまくゆくのに

千三百九十日目。 感触は残っている

日輪に種蒔くひとの手許より零れ落ちたる絵の具しろがね

千三百八十九日目。 8つのユーモレスク ごくたまにドヴォルザークを聴くことがある

百千の洗濯バサミ絵の上に鏤めしごともシルバーを刷く

千三百八十八日目。 夢の中ではうまくいったのに と思うことあり 秋が終わった

画家とはつね一人の歩兵やみのなか匍匐前進はたまた後退

千三百八十七日目。 あしたは大雪 寒くなるまえに仕事終えたかった

誕生日いつしか旗日となりしことも恩寵にして聖十二月

千三百八十六日目。 水牛のように12月号 とても元気がいいですよ~http://suigyu.com/2018/12

正ゴール・キーパーの座を奪われても吠える一番、能活がいた

千三百八十五日目。 川口能活選手現役引退。お疲れさまでした。

遮るものありてしみじみ仰ぎみる銀杏黄葉のそらのあかるさ

千三百八十四日目。 いよいよ十二月 水牛のように12月号もよろしく➡ http://suigyu.com/2018/12#post-5922

控え気味にいえばなんともぎこちなく視線の外にわが影のあり

千三百八十三日目。 輪郭とは そもそも奇妙なものなのだけれど