北村周一のブログ《フェンスぎりぎり》

フラッグ《フェンスぎりぎり》展へようこそ。現代美術紹介のコーナーです。とりわけ絵画における抽象力のリアルについて思考を巡らしたい。またはコーギーはお好き?

2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧

なけなしの小銭数えて缶ビール買いに走れる若き君はも

千三百八十一日目。 うしろ前 一歩手前 パノラマ

縮んだり伸びたりたまに曲がったり記憶のなかのわれと遊べば

千三百八十日目。 マチエールは 色を越えるか 8つのユーモレスク

またあの子あの子とあの子 この町の曲がり具合を心底憎みぬ

千三百七十九日目。 ゆっくりと線を引くと 真直ぐには ならない

ゆびさきが奏でる音の列なりに色あることもその色を読む

千三百七十八日目。 余韻手移り 余白の余韻

洩れ出づるさまざまの音に繋がれてお耳ありけり電車の中を

千三百七十七日目。 音をもってして音を制するしかないのだろうが dialogue about painting

小回りの利かぬ手荷物がらがらと率行くひとを駅に見送る

千三百七十六日目。 または、逃げる韻を踏む日々 秋本番

月よりの報告ひとつまたひとつ読みつつ返す 秋深みかも

千三百七十五日目。 Jump一番 絵筆を運ぶ なにゆえにうまくいかないか

仰ぎ見ればたがいの情のふかきまで照らし出すごと月満ちてあり

千三百七十四日目。 明るいと 白く見える 月も然り

アトリエにみずどりの羽根散らしつつ写真家森田氏レンズ覗きおり

千三百七十三日目。 アトリエの中は寒いからね 小雪

白い雨、黒い雨降るこれの世の刹那に肌理の交わりを編む

千三百七十二日目。 マチエールだけでは絵にはならぬとも

菊鉢の菊なき鉢が幾重にもかさね置かれしうら庭のはて

千三百七十一日目。 七五三 鳥居の陰に ねむる児ら

星あかく蒼くもみえて筆さきにひかりの種子を集める手筈

千三百七十日目。 明し 赤しと同源 蒼し 灰色も含む

白い雨、黒い雨降るつかの間を戯れあそぶ種子あり 光よ

千三百六十九日目。 天窓に みどりの海馬 秋くるる

こわいなとふとも思えり時として描き手をえらぶabstract

千三百六十八日目。 abstract 具体的なものから 抜いて 取り去られた

つき合いのよさが取り柄の画家の絵を順にみおれば端に画家おり

千三百六十七日目。 縁側には ふしぎな魅力がある とらえどころのない 怖ろしさも

白い雨黒い雨あり久方のひかりの種子が絵になるまでを

千三百六十六日目。 光の種子 または 余白の余韻

十月のさくらの道を行くひとに夕べやさしく秋雨のふる

千三百六十五日目。 寒くなりました。白い雨 黒い雨あり。

十月の君追いかけみれば傷ましく今宵さくらに秋雨の降る

千三百六十四日目。 白のもやもや 何のはじまり

小春日のお堀の水に鯉の背の、見ればゆうらりまた沈みおり

千三百六十三日目。 純白という表現と表情のあわいにしばし佇むばかり

小粒ながら秋から春へといつみてもいまが見頃の十月桜

千三百六十二日目。 開花期は 十月から四月まで いつ見ても 五分咲きのさくら 小粒ながらも

ゆうぐれのいろに昏れつつひとり行くさくらの道にも秋雨のふる

千三百六十一日目。 秋から春まで 開花期が長い 十月桜

霧雨にぬれて艶めくうす紅の花の木の下さくら五分咲き

千三百六十日目。 きりさめ 秋の季語 十月桜いつみても五分咲き

その時代時代に合った絵の具との付き合い方があると思えば

千三百五十九日目。 学び取るというより、発見に近いのかも 非常口

紙に灯りうらから当ててなにごとか写し取るごと絵を描きはじむ

千三百五十八日目。 立冬 正月桜ほぼ満開 秋雨の中

静かなる湖畔というはいずれもが森の真ん中 カッコーが鳴き

千三百五十七日目。 雨が降ったり止んだり。

線香のけむり重たく籠もる日の この家だけに積もる雨音

千三百五十六日目。 曇り日の多い十一月 ときどき晴れ

出前にて鮨取るときはおおむねは冠婚葬祭とりわけ葬儀

千三百五十五日目。 セイタカアワダチソウとススキとの飽くなき戦い、みどり豊かな渡良瀬川

およばれの定番にしてひそやかに出前取る声、ラーメンを待つ

千三百五十四日目。 一番のご馳走 醤油味のラーメン いわゆる中華そば 昭和のラーメン

理性の不安★36 冬篇

汗掻き掻きねむる幼子われにして 理性の不安はとき遡る 理性の不安★36 擬密句三十六歌仙・冬篇はこちらまで➡水牛のように11月号http://suigyu.com/2018/11#post-5852

騒音にお耳貸さない隣人に何をか言うべき秋の夕ぐれ

千三百五十三日目。 朝晩寒くなりました はや霜月ふつか