北村周一のブログ《フェンスぎりぎり》

フラッグ《フェンスぎりぎり》展へようこそ。現代美術紹介のコーナーです。とりわけ絵画における抽象力のリアルについて思考を巡らしたい。またはコーギーはお好き?

2018-04-01から1ヶ月間の記事一覧

迷い来し小鳥は窓をはなれずや 来しところより飛び立つ心

千百六十七日目。 逃げてくる 小鳥さまざま インコやら 手乗り文鳥 懐いたはずの

紋甲にはげしき恋のインコかな つつきたいだけつつくをゆるせり

千百六十六日目。 急行や満員電車にわけあって乗れないひとよ、休み休み行こうじゃないか。

十姉妹ぬらすしずくや春の雨 仕舞いわすれし母を叱る音

千百六十五日目。 最終を待つ新百合ヶ丘駅ホームの蔦。

ベランダに籠を吊るせばメジロ鳴き ひだまりに父の声あり若し

千百六十四日目。 小鳥シリーズ

襲われて飛べる鶉や春の空 のこるひとつはあわれ首なし

千百六十三日目。 つがいのウズラを狙ったノラ猫の仕業。

漁師町に寺々あれば墓石屋も 仏花もとめて無人販売

千百六十二日目。 激しい雨ののちの初夏のような日差し 名古屋にて

橋わたる老母追い越す春疾風 遅い昼食松崎あたりに

千百六十一日目。 西伊豆はもともと風が強いのだが。

西伊豆や春うみ近き丘のみち へきち医療は有難き哉

千百六十日目。 都心からそんなに離れていなくても。

母を率て眼科医訪えばうららかや 伊豆に南と西東あり

千百五十九日目。 中伊豆もあるが。

黄砂ふるみちゆく人と二次会へ 画商はこよい気前よろしき

千百五十八日目。 美術市場における、中国マネーは勢いがある。

年度末の館長さんは賑賑し 学芸員と気が合えばなり

千百五十七日目。 キャリアがものを言う世界。

思慮深いおとなはいずこ「サクラチル」 未来がぐにゃりぬかるみを来ぬ

千百五十六日目。 旧暦なら まだ三月なのだが。

飛ぶ鳥の耳の背後に気圧無し 引力だけがほろびをかたりぬ

千百五十五日目。 うらゝかに汗かく耳のうしろかな 万太郎

春かぜや旗ははためく夜もすがら つつみかくさず明かしたきこころ

千百五十四日目。 旗を見て 思うことごと 秋の日の かぜやわらかに けむり吐くきみ

いずこにも目のあるふうけい彼岸かな 見ているように見られいるわれら

千百五十三日目。 近江には独特の匂いがある。

ながき日や連句たのしむ路地のうら つぎ足しつぎ足し伸びてくる文字

千百五十二日目。 目はこわい。連句、懲りずに、もう少しつづけてみる。

野鳥手に捌く者あり春の暮れ かゆいところにとどくゆびさき

千百五十一日目。 ほんとうに医者になってしまった友達の話。

葉脈にまみずしみこむ酔いの朝 海水われのやみふかみかも

千百五十日目。 連句この辺でおしまいにしたい ふう

月に二度もうかぶ満月はなびえも 窓にほのうく夜のあかるさ

千百四十九日目。 おそれなき裁判官の高鼾

施しのごとく湯冷ましまくら辺に みんざいひとつぶ掌にのせ

千百四十八日目。 日のあたる石にさはればつめたさよ 子規

ねむたげに春待つ耳のみぎひだり 暁のふりこが刻打つころを

千百四十七日目。 振り子時計の音色の余韻

ゆめさめて踏みゆくゆかの冷たさよ わが身あずけるあなうらのふたつ

千百四十六日目。 連句に挑戦。手始めに。

近隣にねこカフェなるものありしかど犬カフェはなしヒトカフェはみゆ

千百四十五日目。 いきているのか、そうでないのか。

あられもなくイス取りゲームに興じいる義理の嫂の蹠(あなうら)は昏し

千百四十四日目。 ふきだまり 花にあらし

若かりし頃のじぶんをこぎれいにえがく老画家小品なれども

千百四十三日目。 具象に帰る画家は意外に多い。

写実的わざのかぎりを尽くしたるのちのあなたは余りにも抽象的だ

千百四十二日目。 近江琵琶湖の人懐っこいネコ。

しずみそうな しみずのまちの かわべりの かすかにうみの においがする

こんさーと しずみそうな しみずのまちの かわべりの かすかにうみの においがする ぎんざどおりの いっかくに ばーをみつけた ・・・・・水牛のように、はこちら↓http://suigyu.com/2018/04#post-5583

くろいふくの上に零れたケチャップをティシューに拭えば驚きの赤

百四十一日目。 こちらは驚きのピンク色。

きつくしめすぎる性格われに似てむすめに持たす水筒ひとつ

百四十日目。 ハナミズキそろそろ満開です。それを見ながら。

それは絵のタイトルかなどとからかいに来たるむすこも二児の父親

千百三十九日目。 遠近両用サクラ花かな。ちょっとピンボケ。