北村周一のブログ《フェンスぎりぎり》

フラッグ《フェンスぎりぎり》展へようこそ。現代美術紹介のコーナーです。とりわけ絵画における抽象力のリアルについて思考を巡らしたい。またはコーギーはお好き?

2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧

存在の遮られないその軽さ ペットボトルの口に海苔つく

百九十四日目。 小雨降るなか、小田原ビエンナーレ展に行ってきました。 春の早雲寺 存在の遮られないその軽さ ペットボトルの口に海苔つく

命日を飾ることなく捨子花 母のその母名はステという

百九十三日目。秋雨前線停滞中。 命日を飾ることなく捨子花 母のその母名はステという

きららかに クモの巣を浮かべ石和湯は露天の木々にいま日がのぼる

百九十二日目。 雨の日が続く。 きららかに クモの巣を浮かべ石和湯は露天の木々にいま日がのぼる

ようちゃんのアトピーに効くといいねとわが父母がヨモギを干して送りこすなり

百九十一日目。おとなになったら治るかと思ったのですが。 ようちゃんのアトピーに効くといいねとわが父母がヨモギを干して送りこすなり

曼殊沙華花なき茎をみず垂れて母はシングル・マザーをきらう

百九十日目。秋の気配濃厚なれど晩夏をたのしむ。オンザロックで。 曼殊沙華花なき茎をみず垂れて母はシングル・マザーをきらう

ふきつ、といい摘み花捨てゆく母にしてゆびにひがんのはなの紅

百八十九日目。涼しいというより寒い。 ふきつ、といい摘み花捨てゆく母にしてゆびにひがんのはなの紅

戯けつつ父が小道をあゆみくるその夕闇の草深きわが家へ

百八十八日目。過ごしやすい気温と湿度にからだが喜ぶ。 戯けつつ父が小道をあゆみくるその夕闇の草深きわが家へ

一月は地震、三月はサリン、九月には父の死のあり 一九九五

百八十七日目。涼しくなりました。 一月は地震、三月はサリン、九月には父の死のあり 一九九五

しにそこない、と声に出しつるわがありてその翌々月に父は死にたり

百八十六日目。 しにそこない、と声に出しつるわがありてその翌々月に父は死にたり

みずの面に図形楽譜をえがきゆくごとくプールに小雨降りおり

百八十五日目。 また蒸し暑くなってしまった。 浜名湖 みずの面に図形楽譜をえがきゆくごとくプールに小雨降りおり

アナログへ回帰してゆく飼い主を見てもデジタル犬は哭かない

百八十四日目。なんとなく暑い。 アナログへ回帰してゆく飼い主を見てもデジタル犬は哭かない

沼津市と清水市ともに人口を減らしたりしとおのおのの市民が憂う

百八十三日目。何か理由があるのだろう。 沼津市と清水市ともに人口を減らしたりしとおのおのの市民が憂う わが家族〆て三十名ほど集いしが清水在住ひとりも居ずなり

詩人F・ペソア氏描くリスボンは 遠き日の清水市街に似てなくもなし

百八十二日目。ここはどこ。 横砂の海岸も、袖師の入江も当時はうつくしかった。いまはコンビナート。しのぶよしもなし。きれいなままの浜辺は、下田弓ヶ浜。 詩人F・ペソア氏描くリスボンは 遠き日の清水市街に似てなくもなし

市電ありし頃の清水はたくましく馬糞踏みつつお馬も通る

百八十一日目。 横砂から新清水を抜けて港橋まで、子供五円大人は十円のチンチン電車。 こちらは川崎駅裏 市電ありし頃の清水はたくましく馬糞踏みつつお馬も通る

静かだな、濡れた路面をのりものがすぎゆく夜の明けの雨音

ことばのデッサン、はや百八十日目。 2010年 静かだな、濡れた路面をのりものがすぎゆく夜の明けの雨音

ガラス戸と網戸との間(あい)に挟まりしままに動かず、壁虎は夏の季語

百七十九日目。へきことはヤモリのこと。 ガラス戸と網戸との間(あい)に挟まりしままに動かず、壁虎は夏の季語 ヘキコ:キャンヴァスに油彩ほか 2009年

満月の明かりをたよりに七曜を置き換えている若き看護婦

百七十八日目。 満月の明かりをたよりに七曜を置き換えている若き看護婦

家猫の餌をばおりおり野良たちに与うよろこび隣家は知りぬ

百七十七日目。猫にエサをやらないでください、と書いてある看板をよく目にしますが。 近江の(=^・^=)家猫の餌をばおりおり野良たちに与うよろこび隣家は知りぬ

松林の途切れしところあおあおとひらけて沼津西高はここよ

百七十六日目。待望の雨。 下の写真は、春の比叡山を望む。 松林の途切れしところあおあおとひらけて沼津西高はここよ

テクスチュアに話が及ぶ美学者の声聞きながら駅までの道

百七十五日目。 テクスチュアに話が及ぶ美学者の声聞きながら駅までの道

等々力の駅にて別れし美学者は小顔なりけり踏切が鳴る

百七十四日目。 flag 、fiag、 fiag 等々力の駅にて別れし美学者は小顔なりけり踏切が鳴る

トントコトン妻と子を率(い)て来た道をもどる他なくお祭りはいずこ

百七十三日目。 トントコトン妻と子を率(い)て来た道をもどる他なくお祭りはいずこ

読み癖に見放されたる夏まひるカントは眠りヘーゲルは発つ

百七十二日目。風が少し涼しい。 躑躅と瓦礫。 読み癖に見放されたる夏まひるカントは眠りヘーゲルは発つ

裏庭に『日々の思い出』ひっそりと咲かせていたり ヤブランの花

百七十一日目。とはいえ、立秋。 小池光歌集『日々の思い出』再読。 裏庭に『日々の思い出』ひっそりと咲かせていたり ヤブランの花

メダカメダカゆびのあいだを遁れゆくときに即ち命終えたり

百七十日目。あしたっからすこし涼しくなるようです。ほんとかな? 旧広島市民球場 メダカメダカゆびのあいだを遁れゆくときに即ち命終えたり

八月は清らかなる朝 永遠がTOTOの小部屋につっ立って居た

百六十四日目。原爆忌。 手がありて鉄棒つかむ原爆忌 奥坂まや 戦争が廊下の奥に立ってゐた 渡辺白泉 八月は清らかなる朝 永遠がTOTOの小部屋につっ立って居た こんな朝が八月には何日もある。

気泡出だす容器の口に身を寄せて揺れる穴子はまどろみの中

百六十三日目。安芸の宮島の穴子を思いて。 気泡出だす容器の口に身を寄せて揺れる穴子はまどろみの中

おでんひとつカップにしずめコンビニを出でゆく東電ОLふうに

百六十二日目。時季外れのおでんの味はまた格別。 おでんひとつカップにしずめコンビニを出でゆく東電ОLふうに

果物屋のフレッシュジュースは楽しそう 熟れた果実の華やぐところ

百六十一日目。たまに飲みたいフレッシュジュース。 果物屋のフレッシュジュースは楽しそう 熟れた果実の華やぐところ

じゃじゃ麺の味を知らずに眠るぼくの顔を跨いでゆく人の妻

百六十日目。まだまだ暑い。麺類が恋しい。 じゃじゃ麺の味を知らずに眠るぼくの顔を跨いでゆく人の妻