北村周一のブログ《フェンスぎりぎり》

フラッグ《フェンスぎりぎり》展へようこそ。現代美術紹介のコーナーです。とりわけ絵画における抽象力のリアルについて思考を巡らしたい。またはコーギーはお好き?

2016-11-01から1ヶ月間の記事一覧

手づくりの絵本をひらけばちらちらとゆきがふり出す霜月なれど

六百五十一日目。青緑 1994 F130。紅葉まさかり、あすから師走。 手づくりの絵本をひらけばちらちらとゆきがふり出す霜月なれど 手づくりの絵本をひらけばちらちらとゆきがふり出す霜月なれど

十一月、屋根に雪ある午後にしてVilla-Lobosに浸りいるなり

六百五十日目。いちにちで消えてしまいましたが。 Villa-Lobos:Music for Solo Guiter 春空 1994 F130‐ⅰ 十一月、屋根に雪ある午後にしてVilla-Lobosに浸りいるなり

校庭はバックネットのフェンス越しに見ており 人は平等にあらず

六百四十九日目。2015年1月のギャラリー檜B・C。 校庭はバックネットのフェンス越しに見ており 人は平等にあらず

絵空事熱しやすくて校舎ごと沈む夕日につつまれゆけり

六百四十八日目。続思い出すことごと。 絵空事熱しやすくて校舎ごと沈む夕日につつまれゆけり

1:2かかる比率を保ちつつ画布あり大き旗かも知れず

六百四十七日目。旗日、2010年、190×380㎝。別名白鯨。 1:2かかる比率を保ちつつ画布あり大き旗かも知れず

隣り合う面と線とのかかわりを曖昧にするためのこころみ

六百四十六日目。きょうはほぼ快晴。 隣り合う面と線とのかかわりを曖昧にするためのこころみ

電磁波の流れもかくのごとくあり 蚋のダンスは日溜まりの中

六百四十五日目。初雪、うれしくはなし。 電磁波の流れもかくのごとくあり 蚋のダンスは日溜まりの中

画布を折り畳んでみたりひらいたりえのぐだけでは絵と呼ばれない

六百四十四日目。雪になるそうな。 画布を折り畳んでみたりひらいたりえのぐだけでは絵と呼ばれない

画布の上に流し込んだり滲ませたりえのぐがそれを絵にするまでを

六百四十三日目。AKAME-右・左、2003年。暖かな一日ではありました。 画布の上に流し込んだり滲ませたりえのぐがそれを絵にするまでを

オートバイ事故はかなしき ひとりきり信号機下に蹲りおり

六百四十二日目。縁側より-手抜かり・左、2014年。国道16号沿線は事故が多い。 オートバイ事故はかなしき ひとりきり信号機下に蹲りおり

抽象的ものの思考がはからずも具象絵画に実を結ぶとき

六百四十一日目。AKAME-S60・右、2003年。穏やかな晩秋の一日。 抽象的ものの思考がはからずも具象絵画に実を結ぶとき

徐々にだが均等に押し上げてゆくジャッキの動きはみれど飽かぬかも

六百四十日目。縁側より、手抜かり・右、2014年。雨が降ると呼吸がしやすい。 徐々にだが均等に押し上げてゆくジャッキの動きはみれど飽かぬかも

みずからを裏切るまでに形式が強いることあり要請ともいう

六百三十九日目。縁側より、見開き・左、2014年。穏やかな一日でありますように。 みずからを裏切るまでに形式が強いることあり要請ともいう

みずからが飽きぬためある所作にして決め置くそれを方法という

六百三十八日目。縁側より-見開き・右、2014、F60号。 みずからが飽きぬためある所作にして決め置くそれを方法という

迸る蛇口の水に口つけて直線的にわれを潤す

六百三十七日目。鉤括弧・左、2014。 迸る蛇口の水に口つけて直線的にわれを潤す

置き忘れてゆきし人あり差し上げたるブックレットの行方は知らず

六百三十六日目。鉤括弧・右、2014年。 置き忘れてゆきし人あり差し上げたるブックレットの行方は知らず

小冊子フラッグ《フェンスぎりぎり》が縁を取り持つことある不思議

六百三十五日目。筆記体・左、F60号。 小冊子フラッグ《フェンスぎりぎり》が縁を取り持つことある不思議

とろとろに溶いた絵の具が裂け目から噴き出すごとき一日がある

六百三十四日目。筆記体・右、2014年。小春日和。 隣家の屋根の上の野良ネコ、救出される。 とろとろに溶いた絵の具が裂け目から噴き出すごとき一日がある

とろとろに溶けた絵の具がすき間より滲み出すまでの長い一日

六百三十三日目。とても天気の良い日、なのに。R指向・左、2014年。 とろとろに溶けた絵の具がすき間より滲み出すまでの長い一日

幾度となく乾杯したがる友といて今宵楽しきサイゼリヤなり

六百三十二日目。十一月の冷たい雨の中を、野良ネコが鳴いている。屋根の上から降りられないのである。 こちらは夏の一風景幾度となく乾杯したがる友といて今宵楽しきサイゼリヤなり

額に絵をおさめたるのちゆっくりと呼吸しており絵もわたくしも

六百三十一日目。R指向・右、F60。縁側より、2014。 額に絵をおさめたるのちゆっくりと呼吸しており絵もわたくしも

試したることの痕跡はそのままに絵にしてゆこう音楽ではない

六百三十日目。非常口・左、2014。木枯らしに負けるな。 試したることの痕跡はそのままに絵にしてゆこう音楽ではない

えがくとはあるべき場所へすみやかにしかるべきその色を置くこと

六百二十九日目。非常口・右 103×131㎝ 2014。 えがくとはあるべき場所へすみやかにしかるべきその色を置くこと

ウスムラサキいろのえのぐを掻き落としさらなる白へと向かう筆先

六百二十八日目。背表紙-ⅱ。たぶんそれらは偶然であったかもしれない。 ウスムラサキいろのえのぐを掻き落としさらなる白へと向かう筆先

この夜の末席にわが列なれども居場所はあらず 夏之氏逝く

六百二十七日目。最初のGray、2008年。 この夜の末席にわが列なれども居場所はあらず 夏之氏逝く

念のため清水おでんは駄菓子屋で売られいしものカラシはなきに

六百二十六日目。辛子五連作了。穏やかな一日。清水おでんは、子供のオヤツ。 念のため清水おでんは駄菓子屋で売られいしものカラシはなきに

納豆とサンドイッチとシューマイには欠くべからざるなり黄いろの辛子

六百二十五日目。食べ物に対する奇妙な、あるいはささやかな拘り。 納豆とサンドイッチとシューマイには欠くべからざるなり黄いろの辛子

遠足はサンドイッチのお昼どき辛子入りなる母お手製の

六百二十四日目。洋辛子入りサンドイッチはクラスでも珍しかった時代。 遠足はサンドイッチのお昼どき辛子入りなる母お手製の

リヤカーの納豆売りが捏ねいたるあさなゆうなの辛子のゆくえ

六百二十三日目。夜道-P40、2008年。秋空の下の洋辛子いろ。 リヤカーの納豆売りが捏ね回すあさなゆうなの辛子のゆくえ

一口で食べてはふふふヨコハマはシューマイのあのカラシの味も

六百二十二日目。小石を繋ぐ-ⅲ、F10。はや、11月。 一口で食べてはふふふヨコハマはシューマイのあのカラシの味も