「爆笑問題」の左側
電車の中吊り広告で見た、何のコマーシャルだったか、右は非日常的ポーズを取ってはいるが、目立たない。左は目立つ、なぜか?
日常において際だっているからといって、情報として人目を引くわけではない。表現されたときに、この場合映像化されたときに、人の目を引きつけることが肝腎だ。
技量のある個性派俳優の日常は得てして俗っぽい。あくまでも表現上の問題であろう。一口に「センス」と呼ぶこともできるが(センスについては考えるときりがない、軽そうで重いテーマなのだ)、ここでは3つのポイントを押さえておきたい。
複雑な構造(つまりはヒネクレタといおうか)と、単純な表現性(シンプルであること、迷いがないともいえる)と、ストレートな攻撃力(ふだんは気づかず にいることを指し示すだけ)、の3点。
巷には、瞬間芸があふれている。従って、わずかでも滞空時間のある芸は技術があるように見える。むしろ古くさい手法なのだろう。だとすれば、それがわかる人も多くはいないということになる。お笑い芸人の有り様は、現代の美術とも通底する問題を考えさせる。
北野武の今風アートへの接近もたぶん偶然ではないのだ。(1998年8月)