以下の通りです。
絵画の骨
われわれは知っている
エルンスト・マッハがえがいた恐るべきスケッチの存在を
平井亮一が説く、画面と眼差しとの緊迫したかかわり合いを
絵画を絵の姿形(すがた)としてとらえなおした、中西夏之の
たぐいまれなる実践行為(絵画場)とその成果を
存在自体を問いにもする肉眼と世界への探究を
とはいえ絵画は困難を極める
どのように自覚的であろうとしても
手を替え品を替え上手になぞっているだけの
絵画的絵画に陥ることになりかねない
あらたなる、生きようとする絵画の出現には
絵にはあらざる強力な力学(批判)が
必須の条件なのではあるまいか
たんに美的な、骨のない絵画空間の表出は望むところではない
まずは疑い、問いを発し、また問いかけられもするような
開かれた絵画(視覚性)のありかたを模索したい
つねに古くてあたらしい問題
すなわちサブスタンスへの降り立ち
抽象への飽くなき探究と発見
見えること、見ることへの懐疑と問いかけ
いまここに、「絵のすがた――または、絵画の骨」展を
開催する所以でもある
(2019年4月さくら散るころ ふじい+)
KUNSTVEREIN