門田 秀雄氏による、個展短評。(1995年8月刊)
北村周一展(1994年3月14日~24日/ギャラリー檜)
絵具の物質感や筆致の流露、また色彩の微妙なニュアンスや既知のフォルム、というような絵画の要素をできるだけ抑えて、しかも絵具という色彩と物質性をになう素材によって、発表に耐えうる絵画が出来ないか。それは決して達成しえない矛盾の狙いであり、態度なのだが、そういうこだわりによってはじめて、この仕事は生みだされたように見える。
色彩はいくつかの色が重なって消し合って寡黙な淡白にいきつき、そしてたぶん有意味のフォルムを避け、絵具の自然の質感をすら希釈するために、線がもとめられる。その線は、線としての美を主張するのではなく、面の物質感をよわめるための、面を区切る境界線であり、流露とは対照的な、ぎこちない色の細帯である。この絵画は色にも、線にも、フォルムにも、質感にも、ネガティヴであろうとして、存在の微光を発している。
これは一方で、今日の絵画の明らかな一つの袋小路である。ただこの袋小路には、作者の何らかの生についての意志的な選択と切り離せないような批評的空気が感じられる。
なお、今年の個展では筆のタッチが再び―再びというのはおそらく以前にもあった筈であるので―あらわれるが、ここでは前作の印象にかぎることにした。